〜しょうゆうこと〜

例えば目の前にパズルがあります。
なかなか解けません。
しかし、努力して、苦労して、やっと解けた時の感動、幸せは、非常に大きいのではないでしょうか。
ただ、よく考えると、不思議な点もあります。
この場合、「幸せのため」に「苦労」しているわけです。
冷静に考えれば、なぜ、「幸せ」のために「苦労」が必要なのでしょうか?
別に、特別な努力や苦労をしなくても、人は「幸せ」になることはできると思います。
誤解を恐れずに言えば、こういった、「刺激」を伴う「幸せ」は「生き過ぎる」と「中毒性」があると感じます。
なぜなら「問題」には、「終わりがない」「際限がない」からです。
「人間とは、自分で勝手に問題を作り上げ、自分でそれを必死に解き、その瞬間の快感を目指し、人生の膨大な時間を暇つぶししている。」
これが、僕の幸せに対する価値観の一部です。
でも、別に、悪いことでもないと思います。
ただ、「目の前のパズルを解いた」だけです。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
僕はそう考えます。
どうせなら、楽しく、暇つぶしをしたいものです。
しかし、「幸せの本質」とは、「退屈」である、と言った話があります。
ささやかな事に幸せを感じる。
身近にある物に幸せを感じる。
ただ、過ぎゆく、膨大な時間に幸せを感じる。
逆に、「刺激」は「人生」の「スパイス」であると感じます。
おそらく、スパイスはスパイスで、悪くはありません。
でも、そればかりでは、お腹を壊すと思います。
なので、「人生の余白を、大切にするような幸せ」が、1番カラダに優しいのかも知れません。
でも、それじゃあ飽きちゃうんですよねー。
