〜兎と老人〜

数年前、松浦農園はダイコン農家だった。

ある日、畑で1人で作業をしていると、80代前半くらいの白髪の老人が現れ、ダイコンの葉が欲しいと言った。

体格は小柄、気さくで穏やかな雰囲気、そして人なつこい笑顔で僕に近寄ってきた。

話を聞いてみると、どうやら自宅でとんでもない数の兎を飼育していて、その餌代が大変なため、うちのダイコン畑に目をつけたようだ。

僕と老人は良く一緒にダイコンの収穫をした。

僕は人見知りな性格もあり、初めは一緒に作業をする事を遠慮していたが、老人の気さくな人柄に触れるに連れて、次第に会うのが楽しみになっていた。

老人は、しょっちゅう畑に来た。

なぜか理由は分からないが、父や母がいる日はあまり来なかった。

老人の住所は分からない。

老人の名前も分からない。

老人は数年の間、松浦農園のダイコン畑に通った。

夕方まで一緒に作業をし、日が暮れる頃、兎にあげる葉をトラックいっぱいに積んで嬉しいそうに帰っていった。

ある日を境に老人は姿を見せなくなった。

何か知らないかと、父に聞いてみた。

母にも聞いてみた。

すると、「そんな老人は知らない」と言う。

確かに、老人がうちに来ていた証拠は何もない。

しかし、僕は、彼と一緒にたくさんの仕事をした。

彼とともに、たくさんのダイコンを引き抜き、たくさんの葉を、一緒にトラックに積んだ記憶が確かにある。

しかし、老人はもう畑に来ない。

何年も来ない。

老人の名前も知らない。

老人の住所も知らない。

今思えば、本当に来ていたのかどうかも分からない。

妻に聞いても、そんな老人は知らないと言う。

だけど、僕は今日も畑に出る。

ダイコン畑で作業をしながら、何年も来ない、老人を待つ。

老人に会いたいのは自分の記憶を確かめたいから?

違う、そうじゃない。

彼は僕と一緒に、孤独な時間を過ごした同志だからだ。

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