〜父のカイコ主義〜

実は、松浦農園の所在地である、福島県伊達市梁川町は元々、養蚕の産地として名を馳せていた時代がありました。

このブログを読んでくださっている皆様は、もしかすると「養蚕」と言われてもあまりピンと来ないかも知れませんが、要は、その当時高値で取引されていた「絹の糸」を販売するために、その原料である「カイコの繭」をこしらえていたのですね。

そしてその「蚕(カイコ)」が食べるエサとして非常に重宝されていたのが、桑の木の葉っぱなのです。

よくジャムなどの加工品に使われている桑の果実のマルベリーをご存知の方、また、健康食品としての桑の葉っぱが販売されているのを見たことがある方々もいらっしゃいますかと思いますが、伊達市梁川町は阿武隈川が生んだ肥沃な大地により、この、「桑の樹の生育が日本一であった」と言う逸話が残っております。

父曰く、「あの頃はよかった、養蚕さえ真面目にやっていれば全く生活に苦労しなかった。」そして、「その他の作物の収入、は全て貯蓄に回せた。」とのことです。

さらに、「今の百姓は大変だ。経費もかかるし作物の値段もあまり上がらない。支払いばかりで苦労の連続だ。」

と、まあ、当たり前と言えば当たり前なのですが、どちらかと言えば父は昔の人間で基本的な思想も昭和のままで、口を開く度に「昔はよかった。」と言った部分が多々ありますね。

ああいった考え方をいわゆる懐古主義というのかも知れませんが、とにかく、お蚕様、つまり養蚕農家が羽振りを利かせていた時代は、確かに梁川町に存在していたのです。

しかし、始まりがあればいつかは必ず終わりがあるのが世の中の道理でありまして、重宝されていた絹の糸はだんだんと輸入品が出回るようになり値崩れを起こし、そして、やがてカイコバブルは静かに終わりを告げ、今では養蚕で生計を営んでいる方は、僕の地元には一人もありません。

それで、当時のカイコ農家さん達は、主力であった養蚕業からの切り替えとして、桑の木をどんどん切り倒し、代わりに桃や葡萄、柿などの果物を栽培し、現在では伊達市梁川町は「果樹王国福島」の一端を担う、果物の大産地になっております。

ただ、実はその切替わりの時期に、梁川町の養蚕農家さん達は、「自分と他人の畑の境界線」を明確に分かるようするために、あえて桑の木を全て倒さずに、目印として数本残しておいたらしいのですね。

そのおかげで、未だに僕の地元の畑には至る所にまだ桑の木がたくさん残っており、栄養たっぷりのその葉っぱが大好きなうちのヤギは大喜びなわけです。

もちろん、農薬がかかる場所にある桑は与えませんし、ちゃんと畑の主に確認してから、ありがたくちょうだしています。

6月〜11月の霜が降るまで期間は、桑の木は肥料も何もなくてもすくすく伸びていくので、うちのヤギのうたちゃんは、毎日ご馳走である葉っぱが食べ放題なんですね。  

ちなみに僕が忙しいときは、代わりに父に桑の葉っぱを摘み取りを頼みます。

いつもは頼み事をすると非常にめんどうくさそうな顔をする父ですが、桑の摘み取りとなると、とても楽しそうに軽トラに葉っぱを大量に積んで、嬉しそうにニコニコと帰ってきます。

毎回、「何もそんなに取ってこなくても」と言うくらい豪快な量の葉っぱを摘んでくるので、ヤギがお腹を壊さないように数回に分けてあげるのですが、とにかく父はとても喜んで引き受けてくれます。

きっと、「僕が桑の葉っぱを摘み取る時」と、「父が桑の葉っぱを摘み取る時」に、感じている、見えている風景が、全然違うのでしょうね。

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