〜生きとし生けるもも〜

おかげ様で今朝もキュウリの収穫をして、約120キロをJAさんに納めてきました。

その後、コンビニでおやつを買い、缶コーヒーを飲みながらこのブログを執筆しております。

日々の忙しさにかまけてキュウリの防除をサボってしまったせいで、ハウス内の葉っぱは、もうボロボロになりつつあります。

しかし、太陽さんのアシストもあり、意外に量が出せていて嬉しいのですが、もしかしたらその背景には、生物の本能的なものもあるのかも知れません。

つまり「キュウリが枯れる=死」と定義した場合、自分が生きているうちに少しでも子孫を残そうとして、エネルギーを花や実の方に集中している、と言う事です。

そして、その結果、意外に収穫量が上がっている、と。

ただ、これは僕の仮説なので真相はキュウリに聞いてみないと分からないのですが、たまに、日常の中で、「作物の気持ちが分かればいいな」と感じる時があります。

おそらく、現代の科学では、まだ、人間と植物は言語を通じた会話が出来ません。

しかし、もしそれが実現すれば、農業の可能性がかなり広がるのではないでしょうか。

「農作物」が「何を求めているか」を直接、植物体に聞くことができるからです。

ただ、そうなると逆に、人間特有の感情が邪魔になり、やりにくくなる部分の方が多いかも知れません。

例えば草をむしる度に「痛い」と植物さんに悲鳴をあげられると、大抵の農家さんは困惑すると思われます。

モモの果実をもぎ取るごとに、「辞めて」と叫ばれると、大抵の農家さんは躊躇すると思われます。

実際、僕は生命の定義を詳しく理解している訳ではありませんが、人は生きている限り、何かしらの命の犠牲とともに、生涯を全うするのが定めなのではないでしょうか。

「命」を管理して、「命」を販売して、自分達は生活している。

植物とまだまだ会話はできませんが、農家としてそのくらいの意識は持っていたいとなー、と、畑で僕はよく考えています。

よし、仕事に戻ろう。