〜親孝行の本質とは?プレイバックパート2〜

そうですね、僕が仕事の合間に執筆してる、「松浦農園のブログ」は、基本的にくだらない内容の記事ばかりなのですが、たまにはマジメに書くときもあります。

それで、先月の上旬に、「〜親孝行の本質とは?〜」と言う記事を挙げさせて頂いたのですが、これは、「僕が本当に伝えたいこと」を書かせて頂きました。

基本的に、「僕はブログを書くこと自体が楽しいタイプ」で、どちらかと言えば、皆様に読んでもらいたいというよりは、自己満足よりな内容で、いつも楽しく書かせていただいております。

ただ、上記の記事に関しては、本当に、「たくさんの方に読んでほしい」ブログとして、そう言った気持ちを込めて、真剣に書かせいただきました。

それで、その中で僕の親孝行に対する価値観に触れているのですが、とにかく、人間は「生まれて来た」限りは、必ず、「産んでくれた」人がいるということになります。

もちろん、世の中には色々な人間がいらっしゃいまして、その分、その数だけ、様々な家庭環境がありますので、一括りに「両親と子ども」と言う定義だけでは測れない部分があることは、重々承知です。

なので、「親」=「育ててくれた人」と言った認識で捉えて頂ければ幸いなのですが、とにかく、「自分の人生の舵」を「社会的に自立している」状況で、「他の誰かに任せている」状態はあまり宜しくない、と言うことを、僕は心から伝えたくて、例の記事を書かせて頂きました。

かなり平たく申し上げれば、せっかくの人生なのに、「誰かの機嫌を取りながら生きている」状況です。

せっかくの自分の人生なのに、「誰かの価値観に縛られて生きている」状況です。

それは非常に、「もったいない」と思っております。

俗に言う、「他人軸」から、抜け出して、「自分軸」で生きる、と言った意味でもありますね。

まあ、かく言う僕も、こんなブログで偉そうなことを述べさせて頂きながら、自分がそれを実践出来ているかどうかは、かなり微妙なのですが、とにかく、「親の機嫌を取る」ことが、「親孝行である」と考えている方が、この情報社会に置いても、多数存在する事に、いつも疑問を感じている次第であります。

もちろん、「親」から愛情を受けるのは非常に良いことなのですが、状況によっては知らず知らずのうちに、それが姿を変えた、いわゆる「支配」に繋がってしまい、それが捻れて重なっていくと、「自分自身」の未動きが取れなくなってきます。

それで、松浦農園とお付き合いがある農業資材会社の社長さんで、早稲田大学を卒業されているかなり優秀な人がいらっしゃるのですが、その方曰く、「範囲を限定した愛情」は、「支配に繋がる場合がある」そうです。

僕はこの社長さんをかなり尊敬しているのですが、これはまさに名言だと思います。

この話は、まさに、「両親」と「子ども」にも当てはまる場合があり、いつの間にか、親が子に「愛情」を注いでいるつもりが、幼少期より、共に濃厚な時間を過ごす過程の中で、長年のボタンの掛け違いが生じ、その結果、意図せずに「支配」に繋がってしまっているケースが、世の中には多々あるのではないでしょうか。

「親が子を愛している」言う図式が、いつの間にか、「親が子を支配している」図式にすり替わるわけです。

このケースの場合、「子ども」は、ほぼ「自由」を奪われます。

あえて残酷に言えば、親から羽をもがれて、子どもが自由に飛べない状況になります。

しかし、もちろん、両親にはそんな気は毛頭なく、「子ども」に「愛情」を注いでいるだけなのですが、「知らず知らず」のうちに、「教育」や「感情」などで、すれ違いが生じ、それが積もりに積もり、次第に、真綿で首を絞める様に長い時間が経過し、さらに収拾がつかなくなると、もう既に脱出が困難になり、その結果、「親の意図」とは別問題として、「子どもが生きにくく」なるわけです。

しかし、本来は、誰でも、生まれてきた以上、「自分の力」、「自分の意志」、「自分の価値観」で、「自分の人生」を歩むことは可能であると、僕は感じています。

「自分が生きづらさ」を抱えている場合は、実際問題として、「親の掌」から脱出しきれていないケースが多いと思います。

僕の中ではお釈迦様の掌で、藻掻いている、孫悟空のイメージです。

しかし、自分を知り、親を知り、さらに社会から学び、そして適切な行動を繰り返す事で、ある程度、人間は人生の舵を握ることができるのではないでしょうか。

やり方次第で、充分、自分の人生の羽を取り戻すことができるのではないでしょうか。

飛べるか飛べないかは、結局、最終的には自分次第だと思います。

ここまで述べながら、僕もまだまだ、全然、自分の人生を飛べてません。

そう言った意味合いで、まだまだ、全然、親孝行ができてません。

自分が生きているうちに、自分がどこまで飛べるかが、僕の人生の宿題だと思っています。
 
自分が生きているうちに、自分どこまで幸せになれるかが、僕の人生の宿題だと思っています。

宿題は先延ばしにしすぎずに、ちゃんと終わらせなきゃですね。